読書猫奇譚

日常と本のメモ。

ル・グウィン「オメラスから歩み去る人々」

ル・グウィンの「風の十二方位」に所収の、「オメラスから歩み去る人々」を去年(2017年)に読んだ。短編でページ数は10ページぐらい。

簡単な概略としては、

  オメラスという国が幸福に繁栄している。その国には、あらゆる人々がいる。国家を形成する男性女性、性格もいろいろなあらゆるひとたち。

子どもたちもたくさんいて、皆、幸せそうだ。音楽を奏で、皆が踊る。この国では、「君主制奴隷制が排されているだけでなく、ここには株式市場も、広告も、秘密警察も、爆弾もない。しかし繰り返すが、彼らは決して単純な人たちではなく、またおめでたい羊飼いでも高潔な野人でも退屈なユートピア人でもない。彼らは私たちと同様に複雑な人間だ。」

彼らは無邪気で幸福な子どもではない。

ル・グウィンは言う。

幸福なオメラスの人々を想像させることは難しいとル・グウィンは言う。人間は苦痛や邪悪、をリアルなものと認め、幸福さをなんとなく愚劣なものとイメージするようになっている。そんな人間たちに、彼らオメラスの人々の幸福感を伝えるにはどうしたら良いかとル・グウィンは苦心する。つまりそれほどに彼らは幸福なのである。棄て去ることのできない幸福。

そして、そんな幸福な人々がその国家のルールにひとつだけ用いていたのは、

たぶんこれは魔法とか、契約とかいうものなのだろうけれど、、

たったひとりの少年を地下に閉じ込め監禁することだった。10歳ほどの、栄養もまともに与えられず虐げられている子ども、その子どもが地下で、或いは洞窟で不幸に存在することがこの国家の幸福を維持する、存続させるルールである。

大人たちは自分の子供がそのことが理解出来る年頃が来ると、そのことを説明する。子供たちはそれを受け入れることが出来ずに大きくなるまでにとても戸惑う。なんとかできないものかと迷う。しかし最後には、彼がそこから出ても良いことなどないと自分を納得させて、それで良いとしてしまうのだ。

このオメラスから、時々去る人々がいる。彼らは、そのオメラスの門を抜けひとりで荒野へと向かう。オメラスという幸福な場所とは比べものにならない土地。そういう場所へ去っていくのだ。

2018年元日から。

本の話ではないけれど。

換気扇が動かない。いや、正確に言うと動かない訳ではなく、スイッチを入れて少しの間止まっていて数秒後にカタカタカタと仕方なく動きだすのだ。動きはじめると忘れていた記憶を思い出したように軽快にまわる。止めてもその後すぐにスイッチをひくとまた問題なく回ってくれる。だからああ大丈夫かと思い、ほおっておく、しかし止めて、また次の日にスイッチを入れると動くことを思い出すことにまた数秒かかる。その繰り返し。またスイッチ入れると動かないのかなって感じが、頭をもたげる。いっそのこと止まったままになっていてくれれば、大家さんに言って直してもらおうと思える。換気扇くらい自分で代金を出して直しても構わないが、借家の換気扇をわざわざ自分で直してどうする。しかし近くに住んでいる大家を呼び止めて、あの換気扇壊れたんですけど、、などと言うのは、なんだか言うまでは気を病んでしまう。きっと言えばなんてことはない。言ってしまえばなんでもなかったと思えるはずだ。でもそれまではああでもないこうでもないとその気持ちが頭の中をくるくるまわる。

「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」①

 

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた

 

 

破局かなにかで人類が去ったあとの世界の荒廃と、その後の立て直しかたが、詳細に、丹念に描かれている。

なによりも、今現在の何が、その問題に繋がっていくのかが、書かれてあってすごい。例えばよく言われる地球温暖化は、イメージとしてはなんか地球があったかくなってるって感じだけど、この本では、そうは書かれていない。

 

人類は地下を掘削して、過去の時代に蓄積され埋蔵された化学エネルギーを掘りだしてきた。

こうした化石燃料、つまりすぐさま燃える炭素の塊は、古代の森と海洋生物の死骸が腐敗してできたものだ。

すなわち、はるか遠い昔の地球に降り注いだ太陽光をとらえることで得られた化学エネルギーだ。

この炭素はもともと大気から得られたものだが、問題は僕らがその貯蔵物を急速に燃やし過ぎているため、何億年間分もの固定炭素がわずか百年あまりで大気中に放出され、工場の大煙突や車の排気ガスとして吐きだされていることにある。

これは放出された二酸化炭素を地球のシステムが再吸収できるよりもずっと急速であり、今日では十八世紀初めよりも約四十%多い二酸化炭素が空気中にある。

二酸化炭素のこの高い濃度がおよぼす影響の一つは、太陽の熱が温室効果によってより多く地球の大気にとらえられ、地球温暖化へとつながることだ。そうなると今度は海面が上昇し、世界中で気候パターンに混乱が生じ、場所によってはモンスーンの洪水がより頻繁に大規模で起こるようになり、別の地域は干ばつに見舞われ、農業に深刻な余波が生じる。

 

 

こんな調子で破局後、まで話が展開していく。特にこの後に書かれいる、

 

破局後の世界は、この地球のシステムのなかにすでに蓄積された勢いから、つづく数百年間は数メートルの海面の上昇を経験する可能性が高い。

温暖化によってメタンを封じ込めてきた永久凍土が解ける、あるいは氷河が広範囲で融解するといったドミノ効果が引き起こされれば、その影響はさらに悪いものとなるだろう。

二酸化炭素濃度は大破局後は下がるものの、かなり高い値で推移しつづけ、産業革命前の状態には何万年間も戻らないだろう。

そのため、僕らの時間の尺度では、もしくは後世の文明の尺度でも、地球のサーモスタットが強制的に吊り上げられたこの状態は基本的に永久のものとなり、現在の能天気な生活様式は、僕らのあとに世界に住む人びとに長期にわたって陰鬱な遺産を残すことになる。

 

という部分では、南極の氷の変化など、すでに現在少し起こっているのでは…という箇所もある。

と、少し書き出しただけでもはっきりと明確に書かれていて、驚く。

 

 

2017年 この半年で聴いた音楽(邦楽篇)

音楽関連、今年知った、ここまでで聞いたアルバムでよかったもの暫定で。

 

① d.a.nのミニアルバム 「tempest」 

TEMPEST

TEMPEST

 

 d.a.nは去年出したアルバムがとてもすばらしく、あんまり知られてないかもしれないけれど有名になって音が変わって欲しくないなと思わせるバンド。

レディオヘッドとか電子音楽アンビエントが好きなのかな、という感じ。

 

 

 

 ②ジャズ ドミュニスターズのセカンド

ジャズミュージシャンの菊地成孔さんと、ええと、大谷さんのラップのチーム?のセカンドアルバム。子どもは聞いてはいけないラップアルバム。子どもっていうかなんか一言で言うと筒井康隆の小説みたいなアルバム。凄いよほんと。

Cupid & Bataille, Dirty Microphone

Cupid & Bataille, Dirty Microphone

 

 

 ③コーネリアスの新作

 

まだシングル2作しか公開されてないけれど、やっぱり小山田さんは凄かった。邦楽はとんと聴かなくなったけれど、コーネリアスはね。

音の洗練された感じが凄いきらきらしてる。

 

Mellow Waves

Mellow Waves

 

 

 ④幾何学模様 (kikagakumoyo)

日本ではほとんど知られてないけど海外では知られてるバンド?なのか?

音のこもり方がよい。

 

Stone Garden [12 inch Analog]

Stone Garden [12 inch Analog]

 

 

 ⑤土岐麻子 pink

土岐さんは今まであんまり好きじゃなかったけどこのアルバムはとてもよかった。プロデューサーのせいなのだろうか…

 

PINK

PINK

 

 

今日も負けてスポティファイを聴く。

例によってとりとめのない話。
ルービックキューブがある。くるくるまわして、同じ面の色を一つの色にする正四角形の玩具。
いま音楽の話をしてみている。

昔、レコードがあった時には、あるいはラジオで皆が音楽を聴いた時にはその人々は、
想像力を働かし、イメージをしてその音楽を奏でている人々を想像した。
そのあと、ずっと飛ぶけれどテープレコーダー。
テープが出てきてそのテープの磁気に音が入ってるなんてなんてファンタジーなものだと想像した(これは自分が)。
それで、CDが出てきた。逆?どっちでもいい。
コンパクトディスクは、そのプラスティックの輝く盤面に音が入っていた。
それは素敵なものではあった。MDというものもあった。
録音ができるというのは、いつも素晴らしいことだと思う。

保存できるという事は、所有をあらわしているのかもしれない。
2000年紀も20年近くなって、今は未来。現在はスポティファイなどの音楽を共有したインターネットサーヴィスに月額課金をして、
(そこにある)全ての音楽がいつでも聞けるようになっている。
音楽の図書館に膨大なアルバムが所有されていて、

そこを維持する/アクセスできる権限を皆で少しずつお金を出し合って
その場所を共有しているわけで、これは素晴らしいというか、ほぼ完璧なデザインだと思う。
それでルービックキューブって何?
ルービックキューブの小さな、組み合わさる面の一つ一つが、昔は想像されていた。音楽、誰も知らない、知らないから想像される。それはジャンルであり、国であり、音楽だった。
でも現在のスポティファイのようなデザインの前では、ひとりの日本人のミュージシャンのシングルが、あらゆる膨大な蓄積とともに提示されている。

とても刺激的だ/でもある。
例えば坂本慎太郎コーネリアスのアルバムをCDで買うことと、ストリーミングで聴くことは、うごきとしては、同じだ。

でも何かが違う。それは想像と所有の関係かもしれない。
もう持っているのだと、人間は思えない。地球は私たち一人一人が、、、そらごとに聞こえる。音楽もそこまで来てしまったのかもしれない。

でもちいさなミュージシャンが、それも世界中にいるものが探し、聞ける。
最高の事で、そんなちっぽけな所有欲とは比べられず、負けてスポティファイを聴く。
でもどこかで、かつてのパッケージされた商品を開ける喜びを味わえていない悲しみがある。
ももう仕方がない。ミュージシャンも聞く方も、もう後戻りはできないのだ。

自由という牢獄(というタイトルは重すぎる)

日記の更新しようと思って、気がついたらあっと言う間に前の日記から20日ぐらいたっている。だいたい時間がたつのたつが経つだったか自信がないので平仮名にしているぐらいである。ぐーぐるで調べるのも面倒くさい。

最近はルグゥインと飛さんぐらいしか読んでないが、大澤真幸さんの「自由という牢獄」はとても面白かった。読みたい本はたくさんあるけど時間がないね。

積読増える一方だな。

村上春樹 「騎士団長殺し」 スタバで読むのではあらない

(ネタバレも少しはあります)

 

「騎士団長殺し」発売日に買ったのに、やっとこさ読了。

ル・グィンばっかり読んでて、こっち忘れてた。

世界から注目されているプレッシャーって、想像できないなー。

話の流れや落ちはともかく、、、

その「物語を信じる力」を描く力量や執念はやっぱりすごい。

・子供という存在に対すること。

・女のいない男たち

東日本大震災

はモチーフになってるんだろうなあ。

2月に出して、普通の人ならちょうど3月11日辺りで読み終わるんだろうなってとこも、メンシキさんばりの計算なのだろう。

気になったのは、本編と関係ないけど、スターバックスを何度もディスってるところ(笑)と、音楽の聴き方に対する憂い。

後半のストーリーの勢いはちょっと[世界の終りとハードボイルド~]的な輝きがあった。

よくわからん理由で奥さんが離れて行って、イデアの人もメタファーの人もなんたらフォレスターの男も、わたやのぼるてきなめんしきわたるも、武器も(バットじゃないけど)完璧な隣人とか、ちらっと出てくる運転手とか、週一で会いに来る完璧な愛人とか、主人公はあまりお金を稼がなくてよくて、異世界にも行けるし、イデアの人のしゃべり方の特徴とか。カフカの門番みたいな顔の無い男とか、壁抜け的なこととか。。。

 

でもわたしはこのほんのほんとうのよみかたをしっている。それはしょくんにもおしえられない。このほんはそのようにして、できているのだ。そのようなよみかたには、すじがない。いどをつたってわたるいきもののように。かわのわたしのところにいるもんばんのように。あのせまいつうろのように。

しんじるということだけが、もじどおりのこのほんの、よみかたなのである。

 

 

 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編