読書兎の書庫

読書、音楽、映画、雑記

資本主義リアリズム

 

資本主義リアリズム

資本主義リアリズム

  • 作者: マークフィッシャー,セバスチャンブロイ,河南瑠莉
  • 出版社/メーカー: 堀之内出版
  • 発売日: 2018/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (2件) を見る
 

 

見事にオーウェル1984」的な後期資本主義でのあらゆるものが行き詰まった世界/管理社会を、ドゥルーズガタリカフカフーコー、ジェイムソン、いろいろな映画(トゥモローワールド、ウォーリー、ヒート、宮台さんもよく話すジェイソンボーンシリーズ、小説ル・グウィンの「天のろくろ」、ジェイムズエルロイ)などから読み解く。

これも2日で読了。調子が良いな。今年でた本の方は長め。

ちなみに表紙はレディオヘッドの「ヘイルトゥザシーフ」である。

 

マークさんは教鞭をとってた時期もあるようだが、以下の引用は衝撃だ。

学生に数行足らずの文章を読むように指示したとしよう。そうすると彼らの多くはーそれも成績優秀な学生なのだがー「できない」と反発するだろう。教員がもっとも多く耳にする苦情は「つまらない」である。ここで問題になっているのは書かれた文書の内容ではない。むしろ読むという行為そのものが「つまらない」とされているのだ。私たちが目前にしているのは、昔ながらの若者的なアンニュイではなく、「接続過剰のせいで集中できない」ポスト文字社会の「新しい肉」[NewFlesh](デヴィッドクローネンバーグ監督「ヴィデオドローム」からの引用)と、衰退していく規律制度の基盤となっていた閉鎖的かつ収容的な論理の不釣り合いなのだ。「つまらない」と感じることは単純に、チャット、YouTube、ファストフードからなるコミュニケーションと感性的刺激の母胎に埋め込まれた状態から離脱させられ、甘ったるい即時満足の果てしないフローを一瞬だけでも遮られることを意味している。まるでハンバーガーをほしがるような感じでニーチェを読もうとする学生もいる。彼らは、この消化のしにくさ、この難しさこそがニーチェであるということを把握しきれないのだが、消費システムの論理もまたこの勘違いを招いてしまうのだ。

 

     「資本主義リアリズム」より

 

あと後半のカフカの「城」と現代のコール・センターの経験の類似等、面白い。

スウェーデン型の福祉国家へ

 

 

2日ぐらいで読了。日本てのは人口減少が日本のほんとうの問題(っていうか問題とも言えない)である。

で人口減少の原因は実は皆が子どもを産まないとかではなくて晩婚化が原因で、(つまり20〜29歳までの女性が結婚適齢期にならなくなったと。それは自然な事だと思う。)それも歴史の流れを踏まえると仕方ない。けれどもこれから人口減少社会が来てそれに対応した社会に変えていく必要があり、いまの経済成長が素晴らしいと言う考えの社会から、縮小均衡時代を基盤にしたスウェーデン型の福祉国家(格差も少ない型)へと変わっていったほうが、良いと言う考察。考えはちょっと違うかもだけどビデオニュースの宮台真司さんの話とダブる部分もあった。堅実に思考していく。良著。

 

ところで、わたしは「競争社会」を否定しているのではない。重要なことは、競争社会というものが成立するのは、社会が拡大再生産を続けている限りにおいてだということである。人口が減少し、総需要が減退し、総生産が下降するような縮小均衡の時代には、もはや競争原理そのものが成り立たなくなっている。なぜなら縮小均衡下における競争の敗者は、生存の危機に陥ってしまうだろうし、格差は社会の安定を維持できないほどに悲惨なものになるからだ。社会不安の増大は、結局のところ社会秩序を、破壊してしまうことになる。

こう考えてもよいだろう。競争が安定的に機能するのは、誰かがより多く獲得し、誰かがより少なく獲得できうる限りであり、共同体のフルメンバーが生存可能であるという条件が整っている限りにおいてである。経済インフラが右肩上がりなら、そういうことは起こりうるし、生産性も上がるかもしれない。しかしもし、社会のリソース全体が縮小し、誰かがより多く獲得することが、もう一方の他者の生存を脅かすことになれば、これまでの競争原理そのものの変更が必要になる。

 

[「移行期的混乱」以後 ]より。

darkwab.

なんか最近ネットはもうダメだ本ばっか読んでるわ…

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

 

 

 

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

 

 

 

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

 

 

 

資本主義リアリズム

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  • 作者: マークフィッシャー,セバスチャンブロイ,河南瑠莉
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頻度とばらばらさ

最近インターネット関連の記事を見るときの指標にしていることがある。読書ブログに関しても言えることだが、

それは「毎日記事を更新しているようなところのブログは読まない」ということだ。

ひとというのは通常の生活があって、そのペースは毎日バラバラな感じがする。だから相当意図しない限り(あるいはネット依存にでもならない限り)毎日記事を更新しているというのは何だかそもそも変なことだ。せわしないし。

勿論仕事として書いてる記事ならわかる。けれども、ブログは仕事ではない。(や、仕事になってる人もいるだろうが)

 

生活というのはそもそもばらばらなことである。音楽も映画もことばもコミュニケーションもそもそも繋がらないことである。そこにも意味があったりする。

それが、繋がっている/いられる、幻想のようなものがネットにはあるんだろう。そのことは僕も知っている。

昔はよく毎日ブログを更新してる人を見てたけど、最近はそもそもその頻度に違和感を持つようになった。

2ちゃん(いまは5ちゃんだっけ?)を昔よく見た。

そこでは更新頻度(書き込み)の高さが重要なファクターであった。スレや板の更新頻度が下がってくることを「過疎」ると呼んだ。

そもそもシステムさえもそういう風になっており、放置されすぎたスレは落ちる。(なくなる)このシステムはブログなどにも応用されてる気がする。

例えば長い間記事を書かれていないブログに訪れると、このブログは何ヶ月書かれていないので〜、という注意書きとともに多くの連動広告が、まるで放置された家に生えた木の蔦のように沢山群がる。

 

かつて見ていたニコ生も同じで人気の生主というのは更新頻度が高くなくてはいけなかった。

その為にはいろいろなことをしなくてはいけない。それに耐えられる猛者たちだけが生き残っていった。

そしてそのあとにYouTubeやインスタの時代になり、もう追ってもないけれど、どこかしこで同じようなことが起こっているんじゃないかと思う。

ツイッターほど更新頻度をあげると、人は自分の書いたものも人の書いたものも、わすれるから、まあいいやとなる。

けれど、忘れないぐらいに記憶に保存されるタイプのシステムでは今度は依存を促すことが奨励されるシステムに(もはや見事なほど洗練された広告連動型システム)なっていく。

でもばらばらなほうが豊かじゃない?

というわけで、更新頻度を上げていく記事を書いてる人たちの中で、頻度が少なく、ゆっくり良い記事を書いてる人を探すにはどうしたら良いか、、、は、わからない。見つけられない。

あーめんどくさ。やめだやめだ。

本の続き読も、となるのである。

 

 

 

 

spotifyやめてdeezerにしました。

spotifyをやめて、deezerというストリーミングサービスに変更しました。月額1000円から2000円になるので、1年丸々はやらないかもしれない。spotifyはmp3の最高音質でそれは、昔は誰もが聞いていたCDの4分の1の音質。2年spotifyやってたけど、この音質の違いがだんだんモノを言うようになってきた。

deezerとこれから日本ではじまるmoraなんとかと、tidalがロスレスストリーミングで、可逆圧縮という、圧縮してるけど、CDの音質にほぼ、完璧じゃないだろうけど戻すかたちで再生するストリーミング。spotifyを筆頭に今あるストリーミングサービスはほぼmp3音質で、それ自体が結構音楽文化全体をつまらなくしてると思えてきた。spotifyに来てここ2年で聞いた、ナインインチネイルズもダーティープロジェクターズも、deezerで聴くと明らかに違う。しかし、spotifyほどのミュージシャンはいない。一つのミュージシャンでもそこまでアルバムはない。でもそれでいいんじゃないかと思う。でも可逆圧縮ストリーミングのとこはほぼ2000円だし、それは1年で24000円。これをずっと続けるのはなんか現実的ではないし、中古CDやら輸入盤でよければCD買ってったほうがマシなのかもしれない。spotifyのいいところは圧倒的なミュージシャンがいるところだけど、それなら無料会員でカタログ的に使うのが正解だよね。

レコードは集めるとかさばるのが気になるから、(それが一番いいのはわかってる)ここはやはりCDに落ち着くというところか。勉強になりました。

リンカーンとさまよえる霊魂たち

あけましておめでとうございます。

やっと読めた。ほぼ半年かかった。

死者と生者の狭間を描いた作品はたくさんあるけど、去年10月ぐらいに見た映画「ラブリーボーン」もそんな話だったなあ。

でもこの話はもっと読みづらい。戯曲調というかいろいろな死者の意識が彷徨ってるような文体。それが他の死者の生きていたころを説明したり、生きているものの中に入ってその気持ちを代弁したりする。変なことも多々起こる。案の定こういう物語で死にきれなかった登場人物というのは日本でいえば所謂「成仏出来なかった者たち」で、そのものたちが自らのいかにダメだったか、或いはいかに正当化するかをその狭間の世界で語り合っている。そのうちに事件が起こり、それに沿っていろいろなものの意識に変化が、訪れて、、、という話。リンカーンの時代の生きていたものの歴史的縮図でもある死者なので、Netflixあたりが映像化すると分かりやすいかも。

 

ミスター・ヴォルマンと私は本拠地に向かって必死に走りすべった。

             ロジャー・べヴィンズ三世

動揺していた。

                   ハンス・ヴォルマン

我々でさえ動揺していた。

              ロジャー・べヴィンズ三世

ミスター・ベヴィンズと私でさえ動揺していた。

                    ハンス・ヴォルマン

ヴォルマン兄、我々はどうする?と私は呼びかけた。

我々はここにいる、とミスターヴォルマンが応えた。私を見てくれ。私はここにいる。誰がーー誰がしゃべっているんだ?私がしゃべっているのを聞いているのは誰だ?

しかし、我々は動揺していた。

            ロジャー・べヴィンズ三世

 

こんな感じでずっと続く450ページ。

あーやっと読めたーー。

 

 

この話読んだあとに、さまざまな、いろいろなひとたちの生き方をそのまま受容できるように少しなったきがした。

少しだけ。

 

リンカーンとさまよえる霊魂たち

リンカーンとさまよえる霊魂たち

 

 

 

今年よく聞いた音楽2018

今年聞いたアルバムなどと一言コメント。

 

□マカヤマクレイブン。モダンジャズ。宇宙人に送るレコード(ボイジャーに載せたゴールデンレコード)に入れるべきだったmixtape

Where We Come From (Chicago x London Mixtape)

Where We Come From (Chicago x London Mixtape)

 

 

□mild high clubは日本人に受けそうな気がする。2010年代の電子的な寺尾聰みたいな感じ。ということは70年代みたいな音楽ってことか?

SKIPTRACING

SKIPTRACING

 

 

 

アメリカの割と普通のロック。普通の女性ボーカルなんだけど、曲の展開が結構変わっていて面白い。ボーカルのリフレインが癖になる。

BARK YOUR HEAD OFF, DO

BARK YOUR HEAD OFF, DO

 

 

イスラエルのテルアビブで結成されたインストゥルメンタルバンド。tatran。

やっぱりメロディって国の影響でるんやね。なかなか聞いたことない展開。

White Lies

White Lies

 

 

sasha  sloan。ベタな気がするけど、良かった。

Normal

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