「ぼくらはそれでも肉を食う」 ⑵

「ぼくらはそれでも肉を食う」読了。

 

 

子ネコを見てメロメロになる人が、ミンクの毛皮の肌ざわりを愛せることくらいで驚いてはいけない。

 

 

 

 

「人は言うこととやることがしばしば食い違う。」

 

心理学者たちのあいだでは、以前からよく知られた事実があり、人間の態度には「ABCモデル」というものがあるらしい。 

 

それによると態度には次のような3つの構成要素がある。

 

  • 「情動」  ある問題にどんな感情を抱くか
  • 「行動」  その問題に対する態度が行いにどんな影響を及ぼすか

  • 「認知」  その問題についてなにを知ってるか

 

たまには、三つの要素が一緒に作用することもある。

 

その例としてあげられた話が面白かった。

52歳の哲学者であるブ・バスさんが、2001年にイリノイ大学倫理学者エンゲルさんが書いた論文をたまたま読んだ。

エンゲルさんは、その論文で「動物を食べてはいけない」と論じていて、ロブさんはその論理に心底納得した。そして3週間に渡っていろいろと反証を試みたが白旗をあげたと。

 

ロブは、エンゲルが正しいといったん納得したなら(認知の変化)自分も肉食をやめなければならないと悟った。(行動の変化)数週間後、大学食堂のわきを歩いていると、グリルの上で焼けるハンバーグの匂いがしてきた。

すぐに、理屈抜きで彼はこう感じた。「おぇっ、じつに嫌なにおいだ!」(情動の変化)。エンゲルの論文がきっかけで、ロブは行動、認知、情動という三つの要素がおたがいに強化しあうサイクルに入った。

ロブだけでなく、その妻のゲイル・ディーンも似たような変化をたどり、いまやふたりとも厳格な純粋菜食主義者だ。ふたりはあらゆる動物の搾取に反対し、ロブは自分の授業で動物の権利について教えている。

 

でもロブとゲイルのケースははっきり言って例外。

動物に対する自分の態度が矛盾していようと、まったく平然としている人のほうがほとんどだ。

 

割と例外なこととはいえ、これって人が嫌いなものを食べられないこととかにも応用できる理論なんじゃないのかな?

 

 

人びとが動物の扱いについてどう思っているかを本当に知りたいなら、カネの動きを見ればいい。アメリカ人は動物保護団体に対し、年間20億ドルから30億ドル寄付している。

すさまじい金額だと思うだろう?

でも動物を殺すのにかけている金額と比べたら雀の涙だ。食肉に1670億ドル、ハンティング用品や機材、旅費に250億ドル、害獣駆除に90億ドル、毛皮材料に16億ドル、計2026億ドル也。

 

 

認知心理学者スロヴィックの、「心理的麻痺(サイキックナミング)」と呼ぶ現象も興味深い。

これは悲劇が大きければ大きいほど人びとはその悲劇を気にかけないという理論。

 

病気の子どもひとりを救うために寄付してもいいと人びとが考える金額は、病気の子ども8人のグループを救う為に寄付してもいいと思う金額の2倍だと言われる。もっとたくさんの人が苦しんでるとなると、人間の無関心はさらに拡大する。

 

 もちろん最後はそうではない人も出てきて締めくくられるが、タイトル通り、だいたいの人々はそれでも肉を食うのである。

水槽に魚を入れて愛で、その前で別の魚を食べる。ペットの猫は愛で、牛や豚は食べる。僕だってもちろん肉を食べるけれど、人間って変な生き物だよなあ。

狩猟とかも昔からされてきて、今でも山に増えすぎたシカとかイノシシは狩猟されてる。でも奈良とかでシカに触れたとき、それを殺して食べようとは思えない。

かわいそうだ。としか。

見えないところではうまく屠殺されてて、肉のかたまりになると美味しそうに見える。でもそれを見えるところに持ってくると残酷だと叫ぶ。

謎だ。

 

 

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

 

 

 

ところで、15年前のコンポと、もっと昔のヘッドフォンで音楽を聴いたりするときと、パソコンで音楽を聴いたのでは、やっぱり音の深みが全然違う。

 

音の深みを犠牲にして、iPhoneや簡単な音楽を聴くことの社会やつくられる音楽への弊害ってどんなものだろう。