資本主義リアリズム
見事にオーウェル「1984」的な後期資本主義でのあらゆるものが行き詰まった世界/管理社会を、ドゥルーズ・ガタリ、カフカ、フーコー、ジェイムソン、いろいろな映画(トゥモローワールド、ウォーリー、ヒート、宮台さんもよく話すジェイソンボーンシリーズ、小説ル・グウィンの「天のろくろ」、ジェイムズエルロイ)などから読み解く。
これも2日で読了。調子が良いな。今年でた本の方は長め。
ちなみに表紙はレディオヘッドの「ヘイルトゥザシーフ」である。
マークさんは教鞭をとってた時期もあるようだが、以下の引用は衝撃だ。
学生に数行足らずの文章を読むように指示したとしよう。そうすると彼らの多くはーそれも成績優秀な学生なのだがー「できない」と反発するだろう。教員がもっとも多く耳にする苦情は「つまらない」である。ここで問題になっているのは書かれた文書の内容ではない。むしろ読むという行為そのものが「つまらない」とされているのだ。私たちが目前にしているのは、昔ながらの若者的なアンニュイではなく、「接続過剰のせいで集中できない」ポスト文字社会の「新しい肉」[NewFlesh](デヴィッドクローネンバーグ監督「ヴィデオドローム」からの引用)と、衰退していく規律制度の基盤となっていた閉鎖的かつ収容的な論理の不釣り合いなのだ。「つまらない」と感じることは単純に、チャット、YouTube、ファストフードからなるコミュニケーションと感性的刺激の母胎に埋め込まれた状態から離脱させられ、甘ったるい即時満足の果てしないフローを一瞬だけでも遮られることを意味している。まるでハンバーガーをほしがるような感じでニーチェを読もうとする学生もいる。彼らは、この消化のしにくさ、この難しさこそがニーチェであるということを把握しきれないのだが、消費システムの論理もまたこの勘違いを招いてしまうのだ。
「資本主義リアリズム」より
あと後半のカフカの「城」と現代のコール・センターの経験の類似等、面白い。