読書兎の書庫

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グリムショウの理想の島

 

「自然界には、色も音も感触も模様も美も香りも―そのようなたぐいのものは何も存在しないといことに、気づいてもらいたい。」

                  ジョン・エックルス(神経学者)

 

 

 

その昔に読んだ、養老先生の唯脳論という本は、脳と意識について考えるきっかけになりましたが、

 

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

 

 その後の色々な書物の中には、事物の最小単位の世界で起こっている出来事が、あまりにも現実的ではない量子力学とか、

あるいは宇宙の果てのマルチバースとか並行世界の概念とか、

わくわくさせる、とても現実とは思えない色々な出来事が描かれている本がありました。

でも、そのとても大きな世界と、一番小さな世界を繋げる真ん中に、自分の脳とその「意識」がある事は、すっかりとは言わないまでも忘れていました。

今回読んだ本は、その事について書かれていた本でした。

 

 [グリムショウの理想の島]

英国デヴォンジャー出身のブレンドン・グリムショウは、南アフリカでジャーナリストをして働き、一九七三年に引退した。

そのときすでに、南国の島を購入して個人所有するという途方もない一歩を踏み出していた。インドとアフリカの間に位置するセイシェル諸島の島の一つ、モワイヨンヌ島を八千ポンド(約百二十万円) で購入したのだ。彼はモワイヨンヌ島を九年間所有したあと、現地のセイシェル人協力者とともに、その無人島で暮らすという一大決心をした。この現代のロビンソンクルーソーは、気の遠くなるような困難と向き合った。

彼が島で取った行動は、浜辺でのんびり過ごすのとは正反対の行動だった。島に到着した当初、島全体が下生えの草にびっしりと覆われていて、ココナッツの実が落ちても地面まで届かないほどだった。

グリムショウはこの草の一層作業に取り掛かり、その作業を進めながら、島の声に耳を傾けた――新たな植林に取り組む際の自分の流儀を彼はそう表現している。どうやらモワイヨンヌ島ではマボガニーの木がよく育つらしいとわかると、数本のマボガニーを輸入するところから始めた。

今では七百本が植林され、高さ二〇メートル前後まで達している。だがそれも、グリムショウが一本一本、手で植えてきた一万六千本の木のうちのほんの一部だ。

また彼は、セイシェル諸島の珍しいカメを保護し、いまではその数は120頭になる。鳥たちも、この自然保護区に集まるようになり、新たに二千羽がやってきた。

二〇〇七年に現地協力者がなくなると、八十六歳のグリムショウは一人で島の世話をするようになった。噂では五千万米ドルもの大金で島を買い取りたいという申し出もあったらしいが、彼はその申し出を断った。島を訪れた人が、マボガニーの木を家具用の材木としてしか見ず、手つかずのビーチを裕福な旅行者がバカンスで訪れるための天国としてしか見ないようなら、その人がセイシェル諸島を何回訪れようと、グリムショウは首を横に振る。モワイヨンヌ島は、彼の死後も保護され続けるだろう。

グリムショウは、つば広の帽子をかぶったショートパンツ姿で歩き回り、日に焼けて風にさらされた顔をしているが、同時に並外れて生き生きとしている。

 

 

         ディーパック・チョプラ著「スーパーブレイン」より

 

 ここに引用した部分は、この本の根幹にかかわるイメージのある部分ですが、広大なこの本の内容は一言では説明できません。

 最後の方で、プラトンイデア論とか、ペンローズ量子論の話とかとつながるところがあり、脳と意識、ある意味たましいのような概念にまでも触れかかっているところが凄いです。

べつにオカルトの本ではないので。いやオカルトも好きですが。

人間の脳は、テレビやラジオの受像機のようなもので、この世界、この現実をこのようなかたちにつくりあげているもの、物事に良いイメージや悪いイメージ、美味しいもの、おいしくないもの、嫌いな事、楽しいこと、何が美しくその眼にうつり、何がその耳に聞こえているか、そういうすべてをつくりだしているのは、あなたの意識であり、脳はその願いをかなえているだけだと。

ということはじぶんはなにをすべきか?

というおはなしである。

また読み返そう。

 

 

SUPER BRAIN

SUPER BRAIN

 

 

おまけ

 

この本はとても示唆的で、引用できる部分は無数にあるが、とりあえずここを

人々の間に物理的な距離ができたことで、外部への働きかけは、昔よりも難しくなった。デジタル世代は、そのような物理的距離に、かつてないほどにうまく適応している。彼らの脳を調べると、新たな変化がみられる。ビデオゲームソーシャルネットワークに長時間集中することで、若者たちは、ビデオゲームに必要となる目と手を連動させた動きや、コンピューターに接する専門技術など、幾つかのスキルを拡大させている。その一方で、面と向き合って人と交流する為に必要となる神経経路は軽視されている。そこから言えるのは、ソーシャルネットワークでつながっていること、つまり、絶えず更新されている写真アルバムにコメントを書き込むことが、「人間関係」で、実際に会って話す必要はないと思われているという事だ。

         ディーパック・チョプラ著「スーパーブレイン」より